三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな〜樋口泰行氏〜

前回も書かせて頂きました梅田望夫さんが著書「ウェブ時代をゆく」で提言されている「ロールモデル思考法」。再度思い出しておきましょう。

「好きなこと」「向いたこと」は何かと漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう。頭の中のもやもやは容易に晴れない。ロールモデル思考法とは、その答えを外界に求める。直感を信じるところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、人生のあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長の合うロールモデルを丁寧に収集するのだ。(p119-120)


今回は産業再生機構の強烈なラブコールを受け、悩みに悩んだ末に、「火中の栗を拾う」と決心、ダイエーの社長に就任し、ダイエー再建のために全力疾走された樋口泰行さんです。現在はダイエーを退社され、マイクロソフト日本法人の社長を務めていらっしゃいます。私は樋口さんを心より尊敬し、著書も拝読し、講演会にも参加させて頂きました。私が一生大切にしたいと思っている「ロールモデル」であり、一方的ではありますが(笑)「師匠」だと思っています。

また、私が掲げている「大切な三十歳から四十五歳を無意識に過ごすな」というテーマにぴったりの方で、樋口さんが歩まれてきた道を見ると、たくさんの示唆を得ることができると思っています。そんな樋口さんの経歴を一枚のチャートにしてみました。溶接技術員からダイエー社長、マイクロソフト日本法人社長への軌跡です。

樋口泰行氏の経歴〜いかに大切な三十歳から四十五歳を過ごしたか〜

樋口さんは大学卒業後、名門松下電器産業に就職されます。意気揚揚と社会人生活をスタートさせた樋口さんですが、8か月の現場研修後の配属は「溶接機事業部」。。。同期はみんな半導体だとか、ソフトウェア開発だとか、最先端エレクトロニクス部門に配属。。。樋口さんのキャリアは「溶接事業部」という「不本意な配属」でスタートします。

「溶接」というのは、過酷な職場環境です。「自分は何のために頑張っているのか」という思いとの戦いの中、のちに述べます「T字型人間」という言葉を知り、まずは自分の「縦軸」を伸ばそうと、溶接機事業に身を捧げ、6つの特許を取得。「不本意な配属」でも腐らなかったんですね。樋口さんは。

そして、樋口さんは自分の未来を自分でこじ開けようとします。

樋口さんは技術者としてもっと広い、次のステージを求め、自らは配転希望を出し、溶接機事業部を離れ、「特別プロジェクト室」に移動。IBMとのコンピュータOEM事業に挑戦します。このとき26歳。
樋口さんはIBMとのビジネスを通じ、米国流の仕事観、仕事の進め方、マネジメントに触れ、大きなカルチャーショックを受けます。そしてその出会いに触発され、社内の選抜留学制度を活用したMBA留学を決意。猛勉強の末、MITとハーバードのMBAに合格、ハーバードを選択し渡米します。この時、31歳。

以前ご紹介している熊本県知事の蒲島郁夫さん、サッカー監督の羽中田昌さん、お二人も31歳の時、「一歩前にでる」大きな決断をされています。偶然なんですかね?ちょっと興味のあるところです。

そして樋口さんはハーバードで放校(強制退学)の危機に直面します。ハーバードは毎週13のビジネスケースという尋常ではない分量をこなさないといけません。1日3ケースを毎日。2年間で500ケース。。当然英語。樋口さんは睡眠時間を削っての勉強と、仲間のサポートを得て、なんとかぎりぎりで2年生に進級、その後無事卒業され、松下電器に戻ります。この時、33歳。

なのですが、残念ながら、樋口さんはハーバードで得た様々な経験を松下で活かすチャンスに恵まれなかった。そして、半年で退社。そしてハーバードで面識のあったボストンコンサルティンググループの門を叩きます。そして、たった一日の入社研修を終え、8歳年下のマネージャーの下に配属されます。ここで徹底した「実力主義」と「アウトプット主義」にカルチャーショックを受けながら、ボストンコンサルティングという「圧力釜(樋口さん談)」で自分の実力を伸ばそうと努力します。この時、34歳。

樋口さんは、さらに自分の未来を自分の手でこじ開けようとします。樋口さんは、「コンサルタントはアドバイザーであり、プレイヤーではない」と悟ります。そして「現場で自分の手で戦略を手掛けたい」と思い、ボストンコンサルティンググループを退社し、アップルコンピュータに入社。数々の要職を経験され、その中でも営業部長として、実際の売り場に立ち、お客様と触れ合う喜びを知ります。このとき38歳。

そして樋口さんは「収益責任を負って自由度の高い環境で頑張りたい」という思いから、アップルの元上司の誘いを受け、コンパックに入社。日本独自仕様のパソコンの販売を米国本社に納得させるため、米国本社ヒューストンでの3週間の座り込みを断行するなど、コンパック日本事業の躍進を先導役として活躍、その後の日本HPとの合併などを経て、ついに樋口さんは日本HPの社長に就任します。この時、45歳。

という、なんとも「濃密な」三十歳から四十五歳を疾走した樋口さんを、世間は放っておいてはくれなかった。

産業再生機構が手がける最大かつ最難関の案件であるダイエーの再建。このだれもが嫌がって逃げ出すダイエー社長の座。樋口さんは何度も断りますが、最後には下記のような思いで、ダイエーという「火中の栗を拾う」決意をされます。著書「変人力」からです。

自己の成長やキャリアアップ、あるいは収入の多寡といった問題ではなく、自分の力が誰かのために役立てられるなら、それがビジネスパーソンにとって最も幸せなことではないかと感じたのである。(P23)


そして不眠不休でダイエー再建フェーズにおける一番辛い「修羅場」をリーダーとして先導。再生への道筋をつけ、丸紅主導による再建フェーズに入ったのを見届けて、ダイエーを惜しまれつつ退社。現在マイクロソフト日本法人の社長として、新たな挑戦を続けられています。

「T字型人間」、そして「けものみち」とは

樋口さんは、著書の中で、「T字型人間」という言葉をおっしゃってます。これは、「三十歳から四十五歳をどう生きるか」を考えるにあたり、重要な示唆を与えてくれると思ってます。

私も今痛感しているのですが、今ビジネスにおいて何かを新しく始めたり、何かを解決しようとする時、ほんとに色んな考えるべき視点があって、それをすべて一人でカバーするのが難しくなってます。なんだけど、これだけスピードが速い世の中ですから、一個一個専門家のご意見を賜っている時間はない、なんていうことも多いわけです。

これを逆に考えると、すべてを自分で深く手がけることはできないけど、一本の核を持ちながら、総合力で勝負できるような人は本当に貴重で、市場価値のある人材になれると思うんですね。また、その総合力の合わせ方によっては、自分らしさだとか、自分しか出せない価値とか、主体的なキャリア形成が可能になってくると思うんですね。

樋口さんの著書を読みながら、そんなことをと考えていると、そうそう、梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」でおっしゃってる「けものみち」の考え方に近いんじゃないか、と思ったんですね。

身につけた専門性を活かしつつも、個としての総合力をもっと活かした柔軟な生き方(道標もなく人道がついていない山中を行くという意味で「けものみち」と呼ぶ) (P101)

自分の志向性や専門性や人間関係を拠り所に「自分しか出せない価値」(様々な要素からなる複合技)を定義して常に情報を発信していくこと (P103)


また、樋口さんは縦軸=専門性を手に入れることについて、下記のようなことを著書「愚直論」でおっしゃってます。

縦軸については、広く浅くという仕事のやり方では、自分の強みとなる領域が形成されない。一つのことを深く理解することで、真実を見極める目、物事の深さを測る勘も身につくようになる。また、ある領域を深く理解することで、それとの比較によって他の領域を理解しやすくなる。私の体験でいえば、溶接機事業を深く理解することによって、コンピュータ業界もそれとの比較で考えることができた。(P219)


やっぱり、「T字型人間」になるにも、「けものみち」でサバイバルしていくためにも、「今の自分の仕事をどこまで深く入り込んでいるか」ということに尽きますね。。。反省。。。

とはいえ、「T字型人間」とか、「けものみち」などの思考に触れると、なにか元気が出てくるような気がします。これからどんどん色んなことを吸収することによって、「自分しか出せない価値」が出せるようになれるといいなと思ったりすると。日々精進ですな。

樋口さんについては、いくら書いても書ききれないのですが、是非下記の著書に触れてみて頂けると私もうれしいです。特に、ダイエー再建という「修羅場」で得たマネジメント手法は、数々の示唆に富むものです。

今後の樋口泰行さんの益々のご活躍をお祈りしております。

「愚直」論  私はこうして社長になった

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