「清濁併せのむ」に益々磨きがかかる笑福亭鶴瓶

以前、三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな 〜冨山 和彦氏〜というエントリーで、私が尊敬する旧産業再生機構COO冨山和彦さんをご紹介し、その中で私が冨山さんの在り方を「清濁併せ呑む」という言葉で表現させてもらいました。「清の部分」としての米国MBA仕込みの卓越したビジネス理論、そして「濁の部分」としてのガチンコ勝負、ドブ板営業、飲みニケーション。この「清」と「濁」をより高い次元で併せ飲む。私も「清濁併せ呑む」存在でありたい。そう思って日々色々悩み考えております。

そこで突然なのですが、最近映画「ディア・ドクター」で国内の各種映画賞を総なめにしている笑福亭鶴瓶鶴瓶さんはまさしく「清濁併せ呑む」を体現する私の憧れの人でありますが、最近益々その「併せ呑み」に磨きがかかっているように思われ、益々尊敬の思いを強くしております。

清:「ディア・ドクター」で見せた迫真の「嘘」と「愛」

笑福亭鶴瓶の俳優としての素晴らしさは今までも至るところで語られていました。しかし今回の「ディア・ドクター」での鶴瓶さんは今までとは全く異次元にまで到達していると、大きなショックを受けました。是非とも皆さんにこの映画をご覧頂きたいのですが、この映画で語られるのは「嘘」と「愛」。多くを語るとネタばれになってしまいますので差し控えますが、「嘘」と「愛」が交錯する言葉で表現しようのない心の風景を、鶴瓶さんは「表情」という表現手段で見るものに強く訴えてきます。私は「演ずる」という言葉が大嫌いなのですが、この映画での鶴瓶さんはもう「演技」ではない。もうこれは鶴瓶さん自身の「嘘」と「愛」なのだと感じざるを得ません。今でもスクリーンの前で大きなショックを受けたあの日を鮮明に思い出します。


清:伝説の番組「らくごのご」で見せた「本当のプロフェッショナルの姿」

私は関西で青春時代を過ごしたんですが、同時期に関西におられた方は1992年から1998年まで毎週放送されていた「ざこば・鶴瓶のらくごのご」という番組をご存じかもしれません。これが今考えるとすごい番組だったと思うのですが、客席からその日の落語のお題が3つ出され、このお題にのっとった落語を即興で作り演ずるという番組でした。

客席からの3つのお題が出され、創作落語を作り上げるまでに与えられた時間は約一分。舞台裏でその一分間で自分の持てるもの全て駆使し、苦悩する鶴瓶さんの眼光。テレビの前の私が背筋に得も言われぬ寒気を感じざるを得ない戦慄すら覚える眼光。まだ大学生でしたが、この眼光に強烈なプロフェッショナルを感じたことを今でも鮮明に記憶しています。「ディア・ドクター」での鶴瓶さんの迫真の「嘘」と「愛」を見た時、私が真っ先に思い出したのは、この舞台裏での何か鈍い光を発する鶴瓶さんの「眼光」でした。


濁:どれだけ褒められても「ケツ」を出さずにはいられない

そんな「清」の部分を強烈に感じさせる鶴瓶さん。とは言いながらやはりそこは根っからの関西芸人。昔は深夜番組で泥酔し、下半身丸出しで放送事故を起こしたことは有名な話。また、先日の「第19回東スポ映画大賞」での「ディア・ドクター」主演男優賞受賞式では、事前にズボンの下に紙オムツを履き、あの長嶋茂雄終身名誉監督の目の前でズボンをズリおろし、あわや開チン騒動という「汚れっぷり」も決して忘れません。そんな鶴瓶師匠。御年59歳。。

鶴瓶あっぱれオムツ芸(東スポwebより)

思わずじーんと来たTKO木下の「泣ける話」

関西ではじみーに活動を継続しつつも、十数年くすぶり続けていたお笑いコンビTKO。そんなTKOが東京進出し大ブレイクしたきっかけを作ったのがボケ担当木下の鶴瓶さんの顔真似でした。

鶴瓶さんの顔まねで少しづつテレビでの露出度が上がっていた矢先に、TKOはテレビ会社の廊下でばったり本物の鶴瓶さんと遭遇します。TKOは「あー。絶対怒られる。。。」と戦々恐々としていたところ、本物の鶴瓶さんは、「おまえ、おもろいな。これ使えや」と、自分がかけていた眼鏡をTKO木下のそっと渡し、その場を立ち去ったというのです。。

自らが芸の苦しさ、厳しさを知り尽くしているからこそ、後輩が苦しんでいる、這い上がろうとしている姿を見て、何かせざるを得ない気持ちを抑えることができなかった。この話を聞いてそんなことを考えてしまいましたね。。

「清」と「濁」が入り混じる故の「高み」

笑福亭鶴瓶。落語家としての実力は言わずもがな、そこに「俳優」としての魅力が加わり、「プロフェッショナル=清」の部分で更にその魅力は増すばかり。そこに加えて、根っからの「おバカ好き=濁」な面も全く衰えることを知らない59歳。最近鶴瓶さんが富にその存在感を高めつつあるのは、この「清」と「濁」が有機的に入り混じることにより、one and onlyな「高み」に到達しつつあるのではないか。そんなことを強烈に感じざるを得ません。

これまた私が尊敬するビートたけし北野武)さんがフランスの芸術文化勲章を受章した際に、「日本ではお笑い芸人が映画なんかやりやがってという話になるんだけど、フランスではお笑い芸人も映画監督もできるなんて本当にすごいねってなるんだよね〜」とおっしゃってたんですよね。これも「清」と「濁」の接点を高く評価する文化が存在するんだということだと思いますね。

各々が与えられたシチュエーションの中で「清」と「濁」を併せ飲み、その接点でone and onlyな存在となる。混迷を極める現代社会を生き抜くすべとして、一つ考えてみても良い視点ではないでしょうか。鶴瓶さんの最近のご活躍を見て、改めてそんな思いと強くしたところであります。言葉で言うほど簡単なことではないですけどね。。。


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