三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな〜一歩前に出る時の思考〜

「三十歳から四十五歳の大切な時を無自覚に過ごすな」をテーマに、農協職員から東大教授、熊本県知事になられた蒲島郁夫さん、下半身不随の重症からサッカー監督になられた羽中田昌さんをご紹介し、そのお二人が偶然にも、三十一歳というタイミングでそれまでの過去から「一歩前に前進する」重要な行動をなされていたということを書かせていただきました。

その「一歩前に出る時の気持ち」ってどんな気持ちだったんだろうなと思っていて、そんな中で私の中で重要な発見があったので、ちょっと書いてみたいと思います。

よく、「清水の舞台から飛び降りる」とか言いますよね。あと、「失敗したって失うものは何もない」とか。スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式のスピーチで、こんなことを言ってます。

自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。(中略)自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。


いつか死ぬんだから、失うものは何もない。失うことを恐れて、自分の好きなことにチャレンジしないことは間違った思考である。そんな感じでしょうか。

梅田望夫さんは、「ウェブ進化論」でこんなことをおっしゃってます。

若いうちはあまりモノが見えていない方がいい(P235)


世の中を過剰に理解しようとして、世の中の既存概念にがんじがらめになって、結局一歩前にでるべきところで出れない、これは避けるべき。そんな感じでしょうか。

また、梅田望夫さんは、「ウェブ時代 5つの定理」でこんなこともおっしゃってますね。

失敗といっしても、「スポーツで負ける」くらいのこと(P52)


私もそう考えてたんです。「一度きりの人生、失敗したって、失うものなんて何もない」って。なんですが、たまたま先日立ち読みをしましたある雑誌に、松下幸之助氏のこんな言葉があったんです。

私は、失敗するかもしれないけれども、やってみようというようなことは決してしません。
絶対に成功するのだということを確信してやるのです。
何が何でもやるのだという意気込みでやるのです。


はっ。と思いました。。。気をつけないといけないなと思うのは、「失敗しても失うものはない」とだけ考えてしまうと、そこで思考停止に陥って、一歩前に出て成功する、成就させるための「準備」を怠ってしまうようなことがあると思うんですよね。

なので、一歩前に出る前の考え方って本当に重要で、一元的な思考では危険だし、今までの成功した人たちを見ていると、「失敗しても失うものなど何もない!」って言って、清水の舞台から飛び降りる、という無謀なことはしてないんだと思うんです。

私たちが触れる成功者の過去というのは「過去の振り返り」なので、その一歩前に出た時の本当の気持ちが忠実に再現されていないかもしれない、と言ったら言い過ぎでしょうか。

やはり、「これでもか、これでもかと準備をし、それでも不安で寝れない日が続き、それでも気持ちを落ち着かせようと準備をし、それでも寝れない、不安でたまらない、逃げ出したい、そんな気持ちを消し去ることはできないけど、自分を信じて、一歩前に出よう。けど不安だー。あー逃げ出したい。。。」

これが本当の一歩前に出た時の本当の気持ちではないでしょうか。

幸之助さんがおっしゃるとおりで、「絶対成功するんだ」という気持ちでこれ以上無理というレベルまで準備に準備を重ね、もう不安でたまらないという気持ちを抑えるために「失敗しても失うものはない」と並行して考える。

私の数少ない経験ですが、「準備は人を裏切らない」、そう思いますね。

そういう意味では、以前も書きました、インテル創業者アンディー・グローブの言葉を私が少し直させていただいた(すんません!)言葉が結構一歩前にでるときの思考にあってるかも。

Only The Cheerful Paranoid Survive(明るくて病的な心配症だけが生き残る)


明るさと心配症の二刀流で一歩前にでるということかなと考えてます。


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