梅田望夫著「生きるための水が湧くような思考」 読了

発刊からずいぶん時間が経ってしまったのですが、梅田望夫さんのウェブ・ブック「生きるための水が湧くような思考」、および梅田さんが「合わせて読んで欲しい」とブログでおっしゃっていた「シリコンバレー精神・文庫のための長いあとがき(60枚!)」を読了しました。かなり濃く深い内容でしたのでかなり時間を要しましたが、読後に私が考えたことを書いてみたいと思います。みなさんも「生きるための水が湧くような思考」を是非ご一読下さい。

「生きるための水が湧くような思考」が指し示してくれるもの

梅田さんはいつも自分の存在を「炭鉱のカナリア」に例えられます。時代の「見晴らしのいい場所」に立ち、時代がどういう方向に向かっているのかを先んじて指し示す役割。これが「炭鉱のカナリア」。「時代の変化」というものは、実際その変化が起こっている時にははっきりと認識できないもの。ある時点で立ち止まり、過去を振り返り、現在と過去の比較の中でその間の差異を認識して初めて「世の中が変わった」ことに気づく。しかし、その時点で変化を認識したとしても、すでにその変化に対応できない自分になってしまっている。

このリスクは非常に怖いものであり、自分の内部に「炭鉱のカナリア」を持つとともに、外部に客観的な「炭鉱のカナリア」を持ち、その両方の合わせ技で「これから先」を見通すことの重要性が益々増しています。今回のウェブ・ブックは、Webの世界、携帯小説(梅田さんが実際に携帯小説を読破!)、将棋解説、野球。。。様々なカルチャーの垣根を超え、まるで万華鏡のようでありながら、整然と構造化された知として、「これからの時代」の姿を「海図」として指し示してくれます。

但し、海図は示されたとしても、「航路=自分が行く道は自分でしか見つけることはできない」というのがこのウェブ・ブックの根本精神。ですが私たちに「これからの時代」を踏まえた「航路の見つけ方」のヒントを与えてくれるのもこのウェブ・ブックだと思います。

「炭鉱のカナリア」が指し示した「海図=これからの時代」とは

ウェブ・ブックの序章 世界観、ビジョン、仕事、挑戦−個として強く生きるには。この章にて炭鉱のカナリアが先んじて見た「これからの時代」、いや「今すでに起こっている時代の変化」を「無限の選択肢がある時代」というキーワードで指し示してくれます。

みんなの生活というのは、僕が想像できないほど選択肢が多い。一時間後に誰とどこで何をしているのか、誰とも会わずに勉強しているのか、来年になったら留学するのか、起業するのか、就職するのか、就職するとしたら外資も含めどこに就職するのか、選択肢がバーンと広がっている。(中略)そういう自由、選択肢の無限性を前にして、道具もいろんなものがある。その一方で、自己責任で物事を選んでいかないといけないという時代に、みなさんは生きています。(「序章 世界観、ビジョン、仕事、挑戦−個として強く生きるには」より)

Web技術の進展をはじめとする劇的な環境変化の恩恵を受け、私たちは行動・活動する範囲の自由、手段の自由、リソースの自由を手にしましたが、これは今までにない高いレベルで「自己責任を問う」世界であり、「おまえは何者か」ということをいやになるぐらい問われる世界に突入したのだということを「炭鉱のカナリア」が私たちに示唆しています。

ここで「選択肢は無限大」を宣言しつつ、「自己責任で物事を選んでいかなくてはならない」ことを強く主張することにより、このウェブ・ブックは「海図」を示すものの、「航路」は自分が決めるものだという根本思想を再認識させてくれます。

「これからの時代」が私たちに突き付ける課題とは

「無限の選択肢があるこれからの時代」が私たちに突き付ける課題。数ある中で私が一番のキモだと考えるのは「コモディティー化のリスク」。全てのものが恐ろしいスピードで陳腐化してしまう「これからの時代」。必然的にそれに関わり、しがみついている人も、現状維持のままではすぐに「コモディティー化」してしまうのが「これからの時代」。

また最近携帯電話の世界でよくいわれる「ガラパゴス化のリスク」も大変恐ろしい。私たちの選択肢はワールドワイドに広がっているにも関わらず、一国にとどまり、外を見ようとしなかったがために、その国でしか存在しえない特殊な「珍獣」と化してしまっている。「コモディティー化」はしていないかもしれないが、あまりにも一箇所しか見ていないので、結果ワールドワイドではサバイバルできない。

個人レベルでも「ガラパゴス化」のリスクがあると痛烈に感じています。今や一つの企業で勤め上げるだけでなく、色んな可能性・選択肢が開かれている時代。その一つの企業だけの世界しか見ていないことによって引き起こされる「自らのガラパゴス化」。その企業では重宝されるものの、「ガラパゴス化」しているがゆえ、他の企業では通用しない。終身雇用は崩壊、合併・分割など企業再編の自由度が増す中、明日はどの企業に属しているかわからない時代に、「コモディティー化」そして「ガラパゴス化」のリスクは非常に大きいものがあります。

ではどうすればいいのか。梅田さんはどうやって「コモディティー化」「ガラパゴス化」せず、自分の個を発揮・維持し続けてきたか。私は梅田さんのこの一言に集約されていると思います。

絶対にコモディティー化しないのは、個の固有性だけです。その固有性を競争力のある状態にしていくことに、どれだけ意識的に生きていくか。これは「勤勉性」とは別のことです。(「序章:世界観、ビジョン、仕事、挑戦−個として強く生きるには」の「(8)個の固有性に意識的に生きる」 より)

どのように「意識的に生きて」いけばいいのか

ここからは、「意識的に生きるポイント」として、私が重要であると考えた、

  1. 自分をどう規定するか(=飯の食い方)にもっと貪欲になる、
  2. オプティミズムに満ちた未来志向を持つ
  3. 強さとやわらかさを兼ね備えた「しなやかさ」を持つ、

この3つの視点で述べてみたいと思います。

(1)自分をどう規定するか(=飯の食い方)にもっと貪欲になる

私が考えるこのウェブ・ブックのハイライトはまつもとゆきひろ×梅田望夫「ウェブ時代をひらく新しい仕事、新しい生き方 前編/後編」まつもとゆきひろ×梅田望夫「ネットのエネルギーと個の幸福」。このお二人の対談において、オープンソースでいかに飯を食うかという命題を通じ、「人はやりたいことをやるときに最もパワーを発揮する」、そして「好きな仕事で幸せになることをあきらめるな」というメッセージが私たちに届けられます。つまり私たちは「好きを貫き、自分の幸せにもっと貪欲になること」を再度認識する必要があるというメッセージ。勇気づけられる言葉です。

しかし、梅田さんは「勇気づけられるだけではだめ。それだけでは何も変わらない」、そしてなにかを捨てなければこの本を読んだことにならない(第2章 レスト・オブ・アスにとっての「ウェブ時代をゆく」)という、「どうすべきか」ということへの明快な回答を私たちに指し示してくれます。

「好き」をベースに自分を規定したら、貪欲なまでにそれを追及し、「好き」の実現に貢献しないものは「やめる」。また「やめる」ことによって新しく生まれる時間について、自分の時間の使い方に対してどれだけセンシティブか」、「いま自分がここで使っている時間が正しいのかどうか」を問い続ける姿勢」(序章 世界観、ビジョン、仕事、挑戦の(2)戦略性-自分の時間の使い方は正しいか)を持ち続ける。ウェブ・ブック全体を通じ、梅田さん自身の事例を用い、「時間の使い方をストイックに追及するとはどういうことなのか」が明確に指し示されます。

また、今回のウェブ・ブックでは取り扱いが少なかったんですが、「自分をどう規定するか」に関して、梅田さんの名言「けものみち」の思考は外せません。

専門性や志向性の複合技で個の総合力を定義し、その力で自由に社会を生きていく。それが「けものみち」を歩くということだ。(「ウェブ時代をゆく」P106-107)

誰もが「好き」を追及し、その専門性の一本足打法で成功するものではない。しかし、自分の志向性(好き)をベースに、その「好きの複合技」で自分しか出せない価値を追及する生き方=「けものみち」で成功する道もある。そして自分の時間の使い方を「自分が出す価値への貢献」の観点から絶えず優先順位をチェックし、やめるべきものはやめる。私はこれがこのウェブ・ブックが示す「最適な航路=自己規定の見つけ方」だと捉えています。

但し、一匹狼が「けものみち」を歩むような生き方だけでは、厳しくて難しい「これからの時代」を生きていくことはできない。これを教えてくれるのもこのウェブ・ブックの重要な役割だと考えています。

(2)オプティミズムに満ちた未来志向を持つ

「好きなことを貫く」ことは、色んな責任とリスクを同時に背負うことにもなります。梅田さんも、まつもとゆきひろさんもリスクを背負ってチャレンジしている。しかし私たちは、怖くてそんなに簡単に「次の一歩」を踏み出せない。しかしその一歩を踏み出さないと、コモディティー化、ガラパゴス化のリスクに直面することになる。この何とも難しく複雑な問題の解決手段として梅田さんが指し示してくれる思考。それが「オプティミズムに満ちた未来志向」。

この「オプティミズムに満ちた未来志向」とは、Web未掲載ながら、ウェブ・ブックの一部に位置づけられている「附録3−シリコンバレー精神で生きる(文庫のための長いあとがき)」で語られる「シリコンバレー精神」が該当します。では「シリコンバレー精神」とは何か。こんな一節があります。

シリコンバレー精神」とは、人種や移民に対する底抜けのオープン性、競争社会の実力主義、アンチ・エスタブリッシュメント的気分、開拓者(フロンティア)精神、技術への信頼に根ざしたオプティミズム楽天主義)、果敢な行動主義といった諸要素が混じり合った空気の中で、未来を創造するために何かを執拗にし続ける「狂気にも近い営み」を、面白がり楽しむ心の在り様のことである。(P276)

私は一度だけシリコンバレーに行ったことがあります。この時の経験は、まさしく「シリコンバレー精神」にダイレクトに触れた瞬間でした。私がシリコンバレーにある現地法人のメンバーと一緒に、あるソフトウェアメーカーを訪ねたときのこと。私と現地法人メンバーは別々で行ったのですが、現地法人メンバーは何やら大きな白い箱を持ってきている。それが何だかわからずにそのまま会議室に入り箱を開けると、なんと出来たてのドーナツがたくさん!また会議室にはソフトウェアメーカー側で用意してくれたフルーツの盛り合わせとドリンクバーが!

私たちはソフトウェアメーカーにとっては「お客さん」の立場。そのお客さんが大量のドーナツを持って販売元を訪問することに驚いたのとともに、そのドーナツやフルーツを皆が気ままに食べながら、自由闊達な議論が行われる会議の在り様に衝撃を受けました。そこにはアメリカ人もいるし、中国系のメンバーもいる、トルコ人もいるし、インド人もいるし、日系アメリカ人もいる。そして日本人も。

インドのバンガロールにも行ったことがあるんですが、同じような雰囲気がありました。ビルの屋上で手作りカレーを食べながら、成功するかどうかわからない技術開発について熱心に語るインド人エンジニアの笑顔が今でも強く印象に残っています。

シリコンバレーも、バンガロールも、非常に雇用の流動性が激しく、今一緒に仕事をしているメンバーといつまで一緒に仕事ができるかは全くわからない。将来どうなるかは誰もわからないけれど、今自分たちがやっている仕事が大好きで、この技術で世界を少しでもよい場所にしたいと本気で思っている。そしてそこには悲壮感のかけらもなく、オプティミズムに満ちた未来志向が充満している。たった4日間の滞在でしたが、そんな「シリコンバレー精神」に触れた上で梅田さんの著書に触れると、乾いたスポンジが水をよく吸収するかのように、梅田さんの言葉がスムーズに私の中に入っていきます。

特に梅田さんが「文庫のための長いあとがき」の中で書かれているこの一文。これこそが混沌としてかつ面白い「これからの時代」において、私たちが「けものみち」を歩んでいくときに持ち続けないといけない、大切な「オプティミズムに満ちた未来志向」だと強く感じました。

シリコンバレー精神」が空気のように充満するこの地で、私は本当に変わった。まず「変化していく自分を楽しもうという気分」が生まれて、心が軽くなった。(P274)

(3)強さとやさしさを兼ね備えた「しなやかさ」を持つ

まつもとゆきひろ×梅田望夫「ウェブ時代をひらく新しい仕事、新しい生き方 前編/後編」において、まつもとゆきひろさんがどのようにしてオープンソースプロジェクト「Ruby」を成功させたかについて語ってくれます。そこには、貢献度が少ない人が自然淘汰されていく厳しい不文律がありながらも、優秀なエンジニアが集い、われ先にとバグを直していくような、貢献意欲の強いエンジニアを引きつける魅力を持ち続けている。当然そこにはエンジニアの技術的欲求を満たすハイレベルの技術課題があるからだと思うのですが、私はまつもとゆきひろさんがつくる「厳しくもやさしい空気」が、プロジェクトエンジニアにとって「心地よい」ものにしているのではないか。そう思ったのです。

先に述べた(1)自分をどう規定するか(=飯の食い方)にもっと貪欲になる、(2)オプティミズムに満ちた未来志向を持つ、の2つの視点においては、どちらかというと「個人」の在り方に焦点を当ててきました。しかし、これだけ世の中の変化のスピードと複雑さが増す中、個人が一人でできることには限界があると言わざるを得ません。梅田さんも「第3章 ウェブ時代 5つの定理:金言コレクション」の中で、チーム力を5つの定理の一つに挙げておられます。Rubyの成功も、まつもとゆきひろさんの力も当然ですが、まつもとさんを支えたエンジニアの存在がなければ成功しなかったと言えると思います。

まつもとさんのRubyプロジェクトを見て私が感じること。それは「個人」と「組織・チーム」を対立概念としてとらえるのではなく、その「両方を追及する思考」が今後ますます重要となってくるということ。これは何も「個人」と「組織」だけではなく、例えば「都市」と「地方」、「日本」と「世界」、「サラリーマン」と「個人事業主」など、従来対立概念として「トレードオフの関係」と考えられてきた概念すべてに当てはまります。

この「対立概念を超える」思考について、梅田さんは「5章 生きるために水を飲むような読書」の「読売新聞書評連載で選び評した12冊の本」の「第11回 対立概念に補助線を引け」にこう書かれています。

私たちを取り巻く現代ビジネス社会も、対立する概念に満ちている。「個と組織」「競争と協力」「社会貢献と営利重視」「長期雇用とコスト」「環境と経営」「創造性発揮と内部統制」「情報共有と情報漏洩」・・・。一つの難題に対して私たちは、安易に「AかBか」を選択するのではなく、「AとBの両方を追及しなければならない。身を挺して「思考の補助線」を引く本書のような知的で真摯な営みが、ビジネスの世界でも求められる時代なのだ。

梅田さんとまつもとさんの対談を読んでいると、まつもとさんは、個としてストイックに自分への厳しさを課しながら、ひとつの組織のリーダーとして、貢献してくれるメンバーに深い「愛」を注ぐことにより、「個」と「組織」という対立概念を超え、両方を満たそうとしている。そして現在も島根という地方都市を拠点に活動しながら、東京でしか最先端の仕事ができないという既成概念を飛び越え、「地方」と「都市」という対立概念に新しい補助線を引いている。このまつもとさんの「在り方」に私は「強さとやさしさを兼ね備えたしなやかさ」を強烈に感じるのです。特に島根への愛着を語られる姿に触れると、「しなやかだ」と感じざるを得ません。

私はこのブログ内の「三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな〜西堀 晋氏〜にて、京都でデザイナーとして活躍され、現在はAppleのデザイナーとして活躍されている西堀 晋さんの足跡を追いながら、西堀さんのその「しなやかさ」について書いております。ここで書いた「しなやかさ」とは、「生き方・在り方が一本芯の通った竹のようにしなやかで、トレードオフの関係にあるものを対立概念と捉えるのではなく、両方をよくしなう竹のように、行ったり来たりする」さま。まつもとゆきひろさんもまさしく一本芯の通った良くしなう竹のように、対立概念を行ったり来たりすることにより、大きな成果をあげてこられた。

梅田さんが指し示してくれた「これからの時代」をサバイバルするための思考としての「しなやかさ」を持つこと。私は今回のウェブ・ブックを読み、新ためてこれが必要不可欠な思考だと感じました。

最後に〜「Stay Hungry, Stay Foolish」と「変化していく自分を楽しもうという気持ちを失うな」〜

私の大好きな、そしてこのウェブ・ブックでも引用のあるスティーブ・ジョブズスタンフォード大学の卒業式でのスピーチ。最後にスティーブ・ジョブズはこんなことを言っています。

私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。(中略)それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

今回のウェブ・ブック「生きるための水が湧くような思考」。これは私にとってまさしく「The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)」。使えるツールと偉大な概念に満ち溢れたウェブ・ブック。この出会いに感謝するとともに、ジョブズが「The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)」を大切にしているのと同じように、私は「生きるための水が湧くような思考」を一生大切にしていきたい。

スティーブ・ジョブズは"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"の最終号の背表紙に書かれている言葉「Stay Hungry, Stay Foolish」を卒業生に捧げ、最高にかっこよくスピーチを終えるのですが、ウェブ・ブックに含まれる数多くの偉大なる金言の中で私が断腸の思いで選んだ最高の言葉は、偶然にもスティーブ・ジョブズの思考と同じだったかもしれません。この言葉でこのチョー長い読書感想文を終わりたいと思います。梅田望夫さん。ありがとうございました。

変化していく自分を楽しもうという気持ちを失うな(シリコンバレー精神 文庫のための長いあとがき P274を若干変更)

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