「ウェブ合気道」という私塾〜「私塾のすすめ」いい本でした〜

先日発売になりました斎藤孝さん、梅田望夫さん共著の「私塾のすすめ」。ようやく色々考えたことを書いてみました。いい本でした。色んなものを頂きました。

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

どういう本かというと、、、

レールのない時代である現代をサバイバルするには、一生学び続けることが必要だ。では、自分の志向性にあった学び場をどこに見つけていったらいいのか?本書は、志ある若者が集った幕末維新の「私塾」を手がかりに、人を育て、伸ばしていくにはどうしたらいいのかを徹底討論する。過去の偉大な人への「私淑」を可能にするものとして、「本」の役割を捉えなおし、「ブログ空間」を、時空を超えて集うことのできる私塾と位置づける。ウェブ技術を駆使した、数万人がともに学べる近未来の私塾にも言及し、新しい学びの可能性を提示する。(紹介文から)

これは「私塾」だったのか。。。そして名づけて「ウェブ合気道」!

この書籍のキーワードである「私塾」とは一体何なのか。簡単に書いてみるとこういう感じでしょうか。

緒方洪庵の「適塾」、吉田松陰の「松下村塾」などに代表される、幕末から明治維新にかけて多く存在した、「学びたい」という意欲を持った「生徒」、またそういう学びたいという意欲ある人に「手を差し伸べたい」という思いを持った「師匠」、そういう師弟関係の中でお互いが切磋琢磨し学びあう学び場。この昔ながら存在する「学びあう関係」をインターネットという「道具」を使って、、直接師匠と生徒が会うことはできないかもしれないけれど、物理的・時間的制約を超えながら、以前にも増してこの「学びあう関係」を進化させようというチャレンジ。

私は、梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」に大変感銘を受けこのブログを書き始めました。書き始めたころは、色々考えていることがあるんだけど、言葉となっていないがゆえに、何かもどかしさを感じていて、ブログという道具を使い、自分の考えていることを言葉にし自分に向けて「結晶化」しようと思ったんです。あくまで自分に向けてと思ってました。そしたら、一番最初に書いたエントリーを書いて15分ぐらいだったかな、梅田望夫さんが「はてなスター」をつけてくれたんです。確かに梅田さんの著書で「すべて読んでる」と書かれていたのは知っていたのですが、まさか自分が生まれて初めて書いたブログを音速のスピードで梅田さんに読んで頂いたんです。

これは私にとって衝撃的な体験でした。今まで、自分が好きな著者に感想を書いて、そのリアクションが来るということってほとんどなかったと思うんですね。それが、インターネット、ブログという「道具」を介し、15分という「音速」で「師弟関係」が出来上がったわけです。知りあいにこの話をしても、信じてもらえないんですよ。

その後もいろいろ書いてるんですが、梅田さんがはてなスターをつけてくれたり、ブックマークしてくれたり。記事を書くのもかなりのパワーと時間がかかってますが(涙)、このはてなスター、ブックマークがかなり励みになりました。そんな中で読んでくださる方が段々と増えたりして。。

そんな衝撃的な体験をした上で「私塾のすすめ」を読んだんですね。そしてすぐに、「なるほど。これが私塾なのか!」と納得したんです。

私にとっては、もうすでに私塾は始まっていたんですね。

私塾のすすめ」の中では、師匠が書くブログを読み、そこにコメントし、そこに集った志向性を同じくする生徒同士が「志向性の共同体」を作り、学びあうというイメージで私塾が表現されています。これももちろん「私塾的関係性」なのですが、私はやはり「師匠のブログを読む」そして「自分でもブログを書き、師匠に読んで頂く」というインタラクティブな関係がインターネットならではなんだろうと再認識しています。

これは斎藤孝さんが書かれていましたが、空手や合気道にも似た感覚なのだろうと。憧れの師匠が「型」を披露し、それを生徒である私が解釈し、学ぶ。そして見よう見まねで師匠の前で「型」を披露し、その「型」を見ていただく。師匠は何を語るわけではないが、その生徒の「型」を見守る。そして時には生徒は師匠にガツンと投げられ、体で体感し、「型」を取得していく。これをウェブ上でやる。時空を超えて。

私が大好きな、クリエイティブディレクターの箭内道彦さんの名言「クリエイティブ合気道」から拝借し、勝手に名付けて「ウェブ合気道!インターネットの世界で師匠と生徒が投げたり投げられたり!面白いじゃないですか!

情熱大陸で紹介された、箭内道彦さんの「クリエイティブ合気道」)
http://www.mbs.jp/jounetsu/2007/06_03.shtml

「私塾的関係性」を築くためには、やはり自分から発信することにより、師匠に投げられに行かないといけないんだなと再認識。。。がんばってブログ書かないと。。。

「まったく同じものとの戦い」について、私が考えたこと

私は「私塾のすすめ」のあとがきに書かれている下記の文章でいろんなことを考えました。

斎藤さんと私は、日本社会を閉塞させる大きな原因たる「まったく同じもの」と戦っているということなのです。(P201)

そこに存在するのは、「時代の変化」への鈍感さ、これまでの慣習や価値観を信じる「迷いのなさ」、社会構造が大きく変化することへの想像力の欠如、「未来は創造し得る」という希望の対極にある現実前提の安定志向、昨日と今日と明日は同じだと決めつける知的怠情と無気力と諦め、若者に対する「出る杭は打つ」的な接し方・・・・といったものだけ。これらの組み合わせが実に強固な行動論理となって多くの人々に定着し、現在の日本社会でまかり通る価値観を作り出している。「まったく同じもの」とは、人々のこうした行動論理や価値観のことです。(P204)

「まったく同じもの」は、本書を読んで下さった読者の皆さんの外部にあって批判するものではなく、皆さんの内部に根強く存在している。そしてそれが強敵たるゆえんです。(P206)

「まったく同じもの」の具体例として、梅田さんはコンサルティングの仕事を「虚業」と言った経営者に対し、その場で謝罪を強く求めたときのことを、そして斎藤さんは「文部科学大臣になりたい」と言ったことを「ははは、ばか言っちゃいけない」と一笑に付されたことへの怒り、を挙げられています。

私は思ったんです。私は、クライアントである経営者に自分の仕事を「虚業」と言われたことに、烈火のごとく怒ることをしただろうか。私は、「文部科学大臣になりたい」という大きな志があるあろうか。そしてそれを語ったことがあるだろうか。

中小企業診断士として活動していても、50代、60代の大先輩をご一緒することがあります。そういった人たちとお話をしていると、明らかに私達の世代に対し、「物足りなさを感じている」、ってわかってしまうときがあります。私が恵まれているのかもしれないんですが、「もっと自分を主張しろ」「もっと自分が何をやりたいかをもっと言ってこい」と言われたこともあります。

梅田さん、斎藤さんの世代はその上の人たちは認めてくれなかったかもしれないけど、自分を思いっきり主張した。けど、私の場合、私の先輩たちは私の主張を待っていてくれるのに、自分を主張できていない。確かに「言っても潰される」とか、「言っても相手にされない」という思いが私の中でないわけではないが、このハードルは以前よりぐっと下がっているという印象が確かにあって、それを乗り越えて私達が一歩前に出ないといけないのだと思うんだけど、これが私はできていない。。。

これが、梅田さんがおっしゃる「皆さんの内部に根強く存在しているまったく同じもの」なのだろうなと思っています。

「自分を信じて」。私がとても尊敬する人が私に送ってくれた言葉です。自分を信じてやるしかない。

中小企業診断士をやっていると、50代、60代のベテラン診断士の方とお付き合いがあり、尊敬する大先輩もたくさんおられるのですが、「やっぱり勝てない」と思うことが多いんです。机上で作った戦略・理論はやはり机上の論理に過ぎず、やはり経験の裏づけがないと全く説得力がない。。また机上で作った戦略に、経験から得た知見がスパイスのように効いて、もう目から鱗という経験を何度もしました。その時「やっぱり勝てない」と思ったんだけど、逆に言うと、良い経験を積み重ねることにより、今よりももっと成長できるし、自分なりの付加価値を生み出せる余地がまだまだあるんだと思うと、うれしくも思うんですね。

たしかに経験が足かせになることもあるんだろうけど、50代、60代の良識ある「知的やんちゃぼうず」が、自分の今までの経験を丁寧に取捨選択して、それをスパイスにして経営戦略を作ったり、実行したりするとき、これはもう若造は絶対勝てないです。。

なので、私は、年配vs若者、若者よ、団結して立ち上がろうというのはいやで、理想主義かもしれないけど、年配の諸先輩からもいっぱい学ぼうと思うし、自分が年寄りになったときに、その時の若者から「この人から学びたい」と思ってもらえるおじいさんになることが今の私の最大の人生目標です。

そのためにも、今回学んだ「私塾」という概念を大切にし、ウェブの世界もそうなんだけど、リアルの世界でも、もっとどんどん挑んでいって、師匠にぶん投げてもらうぐらいも意気込みでいきたいな、と、改めて前向きな気持ちを頂きました。

皆様、引き続きご指導のほど宜しくお願いします。


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