三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな〜三瓶哲男氏〜

長らくご無沙汰しておりました。私はなぜ「大切な30歳から45歳を無自覚に過ごすな」というテーマについて書いているかを再度確認しておきましょうか。それは、梅田望夫さんの著書「ウェブ時代をゆく」で下記の記述があり、大変考えさせられたというのがきっかけです。

「三十歳から四十五歳」という難しくも大切な時期を、キャリアに自覚的に過ごすことが重要である。(P194)

だとしたら、具体的にどうすれば自覚的に過ごせるのかということを考えていたのですが、「ウェブ時代をゆく」で梅田望夫さんが提言されている「ロールモデル思考法」。これだと思ったんです。

「好きなこと」「向いたこと」は何かと漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう。頭の中のもやもやは容易に晴れない。ロールモデル思考法とは、その答えを外界に求める。直感を信じるところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、人生のあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長の合うロールモデルを丁寧に収集するのだ。(p119-120)

今回も、というかずっとですが(笑)、私が一方的に「師匠」と申し上げている方です。「眼鏡は道具である」というシンプルな信念のもと、最高の機能性とクオリティー、そしてデザイン性で圧倒的な支持を獲得、今や日本を代表する眼鏡ブランドへと成長したフォーナインズ999.9)の創業者である三瓶哲男(みかめてつお)さんです。

私が最初に999.9と出会ったのはMonoマガジンでの特集記事でした。当時は全然お金のない学生でしたので、999.9の眼鏡なんて高根の花。。当時序所にデザイン性を全面に出した眼鏡が人気を博していたんですが、「眼鏡は道具である」との信念。機能性、掛け心地が最重要で、これを追及し、シンプルな眼鏡づくりを究めれば、その結果として優れたデザインとなる。このポリシーに感銘を受け、999.9は私の中で気になる存在になりました。そんな中999.9について色々と調べる中で、今回ご紹介する三瓶哲男さんの「眼鏡バカ一代」っぷりに感激。。現在は999.9ユーザーとして、尊敬の念を込め、その眼鏡の持つ最高の「こだわり」を日々楽しんでおります。


ふとしたきっかけから、ある意味偶然に眼鏡の世界に入り、その魅力に取りつかれ自らが理想とする最高の眼鏡を追及、ついに日本を代表する眼鏡ブランドを築き上げ、今もまだ進化し続けている三瓶哲男さんの足跡です。


三瓶哲男氏の足跡〜いかに大切な三十歳から四十五歳を過ごしたか〜

0.05ミリへのこだわりゆえの周囲との衝突

三瓶さんは、スポーツ推薦で入学した高校を卒業後、特に眼鏡に興味があったわけではないんですが眼鏡の専門学校に入学します。その理由は、その学校しか合格しなかったから。。それまでスポーツ推薦で受験経験ゼロ。苦労とか努力を全くしてこなかった人生。これではいけないと思い、一つのことに人生を賭けてみようと決心、おそらくウマがあったんだと思いますが、三瓶さんは「眼鏡」をその自分の人生をかけるかけがえのないものとして選択します。

しかしなかなか世の中うまくいきません。専門学校卒業後に最初に就職した埼玉県の眼鏡店を8か月で退社。。またあこがれていた東京の老舗眼鏡店にアルバイトとして接近、その後社員に昇格したものの、これまた生意気な性格が災いしクビに。。その後眼鏡職人のもとに弟子入りするのですが、これまたケンカ。。

三瓶さんは、眼鏡小売の現場で本当に理想となるフレームがないことを常々感じていました。そこで眼鏡のツルの部分にできるだけ弾力を持たせたいと思い、できるだけ細くしようと考えました。その細さの追求のためにあと0.05ミリ細くしたいと考えたのです。この0.05ミリ以上細くしてしまうと、細すぎて折れてしまう。しかしそのぎりぎりのところまで細くしないと、最適な弾力を持たせることができない。そこを三瓶さんはこだわったのです。

しかし、眼鏡職人さんから言えば、「そんな0.05ミリの違いで何が変わるのか」という世界。当時は昔ながらの徒弟制度が色濃く残る眼鏡職人の世界。三瓶さんの意見は採用されません。ここで三瓶さんは「自分でつくるしかない」と決心し、眼鏡の「けものみち」へと歩んでいくのです。当時24歳。。

食えない35歳までの厳しい「眼鏡けものみち

三瓶さんは自らが理想とする眼鏡を実現するために、自らに「眼鏡バカ一代」な修行を課します。平日昼間は眼鏡店でアルバイト、仕事後は理想とする眼鏡の図面を引き、眼鏡職人さんに通って自ら作る。これを休日に眼鏡店に持ち込み、「どうかぼくが作った眼鏡をお店においてください!」と行商して歩く日々。しかし、何の実績もない若造の眼鏡をいきなり店舗においてもらえることなどないことは容易に想像できるでしょう。徹夜の連続で作った眼鏡が認められず、収入がゼロという時代が続きます。

三瓶さんは当時を振り返り、こうおっしゃってます。

「2〜3ヶ月の間、ふとんで寝ていない時期がありました。とにかく忙しかった。でも、メガネは作り続けていました。手作りと、職人さんと共に作ったフレームを一人で売りに出掛けました」

三瓶さんは途中33歳で眼鏡のデザイン事務所を設立され、DCブランド、大手眼鏡メーカーのサンプル品のデザインを手がける仕事をされますが、以前として「食えない時代」が35歳まで続くのです。

だけど、三瓶哲男さんの眼鏡づくりへの情熱は消えることはなかったのです。

自らを信じてスタートした999.9、そして成功

自分の信じる理想的な眼鏡がなかなか受け入れられない日々が続く中、三瓶さんは「自分でブランドを立ち上げるしかない」と決心します。もし、ダメだったら、「道路工事現場で肉体労働をして食っていけばいい」と腹をくくり、1995年にフォーナインズデザインラボラトリーを立ち上げ、初の999.9ブランドのメガネフレームを2種類発売します。その翌年法人化、4人での999.9スタートでした。当時37歳。

ここから、999.9が日本を代表する眼鏡ブランドへと成長していくのに、時間はかかりませんでした。999.9が提案する「眼鏡は道具である」「その信頼できる機能性に裏付けられた機能美」は幅広い支持を集め、出展する眼鏡展示会で好セールスを連発。三瓶さん40歳の1998年には銀座にショールーム兼直営店をオープン。43歳の2000年には渋谷店オープン、そして46歳の2003年にはあの新宿伊勢丹メンズ館の一階の超優良スペースに初の百貨店内ショップをオープン。

今や直営店4店舗、999.9取扱店は全国200社400店舗、通常平均単価25,000円程度といわれる眼鏡業界にて、999.9は平均単価60,000円前後の眼鏡を、年間12万セットを売る、日本を代表する、いや世界にも通用する眼鏡ブランドとして、その地位をゆるぎないものにしています。

そして、三瓶哲男さんは、999.9を始めたころの夢であった「すかいらーくで自分が好きなものを注文できるようになる!」という夢をめでたくかなえられたのです!

そして、今も創業の地であり、三瓶さんがこよなく愛する東京の成城の地にて、自分が理想とする眼鏡を作り続けています。

三瓶さんのメッセージ〜「なになに職人」という自己規定〜

ここまで見てきたとおり、三瓶さんは「眼鏡バカ一代」の人生を歩んでこられたのですが、先日もご紹介した梅田望夫さん、斎藤孝さんの共著「私塾のすすめ」で、斎藤孝さんがこんなことをおっしゃっていたのを思い出しました。

(好きで入れ込める人でないともたない社会になってきている中、その対応として)「職人気質」の現代バージョンというのを、自分の心の技としてもつということです(P151)

要するに「なんとか職人」という感じの自己規定をしてみると、腹が決まるというか、逃げ出せなくなって、そうなると、細部に楽しみを見いだすことができるというメリットがあります。物事が続くかどうかというのは、細かい差異に敏感になってそれが面白いと思えるかどうかによる、という面があります。一種のマニアの世界だと思うんですけどね。(P151)

私自身も「職人」という言葉にあこがれて、以前「職人的な生き方がしたい」的なことを書いたこともあるんですが、実際今そうなっているわけではありません。三瓶さんは根っからの「眼鏡職人」ですが、そこまで長く人生をかけたものでなくても、自分が少しでも好きな領域で「私は○○職人なんだ!」と自分を決めてしまうというのはありだと思うんですよね。。そしてある意味それを「やらざるを得ない状態」に持って行って、そこをかなり突っ込んで一時期やってみる。一人で勝手に職人気どりみたいな。勝手に名刺を作ってしまうとか(笑)

三瓶さんも、高校卒業し、特に何もないところから眼鏡と偶然出会い、ウマがあったんでしょうね、「おれは眼鏡職人として生きるのだ!」という「一人職人宣言」から、日本を代表するブランドを作ったんですから。

日々の仕事の中でも、「これは好き」という分野について「一人職人宣言」してみる。そしてその仕事がありそうなところに自ら顔を出してみる。そしてその仕事においては、三瓶さんのような0.05ミリのこだわりで仕事を「作りこみ」、社内では「これはあいつしかおらんなー」と言われるまでやってみる。

なんかそんなことを考えると、ちょっと仕事も「おもろいなー」という感じになるかもしれないですね。

また、斎藤孝さんは、「私塾のすすめ」で、職人がらみでこんなこともおっしゃってます。僕ね、この本で斎藤さんを初めて知ったんですけど、大好きですよ。斎藤孝さん。

僕は、プロ野球のキャンプみたいなものが好きなんですよ。合宿とか、「何とか月間」みたいなもの。(中略)一日のうちで細かく割り振って勉強するということができない性格なので、「この一か月は単語しかやらない」「この一か月は数学しかやらない」みたいな方法でやると、入ってからの沈潜の深さが深くなる。そうすると「深海魚」に会える。
結局、深海魚に出会えるぐらいに深くもぐらなくては、物事は身に付かないという考え方なのです。

「一人職人宣言」をして、プロ野球のキャンプみたいな「一人キャンプ」を張り、一定期間とことんまで同じテーマの海を泳ぎ、そして「深海魚」に出会う。もちろん一人より大勢のほうがいいと思いますけどね。ネットで一人職人宣言を言い合って、情報提供しあうというものあるかもしれないですね。

三瓶さんはこれを20年近く「眼鏡」という世界でやった方です。いや、まだやり続けている方です。おそらく三瓶さんに「深海魚に出会いましたか?」って聞いたら、「いやーまだ全然出会わない。一生出会えないかも」っておっしゃるような気がします。

私自身もそうなんですけど、「そしたら、私は何職人なんだろうか?」と考えると、なんとなくおぼろげながらイメージはあるんだけど、何か言葉で紡ぎだせないなーという感じがあるように思います。なんだけど、そこを頑張って、踏ん張って、自分は「○○職人だ!」宣言できるよう、言葉と向き合い、紡ぎだしてみる。ちょっとやってみようと思います。私も。そしてミニキャンプを張ってみようかと。

最後に、三瓶哲男さんがおっしゃっている、私の大好きな言葉で締めたいと思います。999.9、そして三瓶哲男さんの今後の益々のご活躍をお祈りしております。

僕はその年の頃の青年特有の根拠もなく自信満々な若者でした。それが、だんだん周りで友人たちが成功するのを見るにつけて悩みだしてきたんです。何で俺はそうなれないんだって。(中略)である時、「何だ、おれの悩みは全部、見栄や嫉妬が原因じゃないか」と気づいたんです。それが分かった途端、スッと吹っ切れました。これからは「自分にできることだけを、半端じゃなく一生懸命やろう」と思ったんです。そこからですね、仕事がうまく回りだすようになったのは。でも、いまだに自信なんかないんですよ。だからこそ、常に立ち戻る場所として、謙虚で地道で正直なあの日の気持ちを忘れないんです。(Monoマガジン499号より)

三瓶哲男さんのインタビュー記事
http://www.innovative.jp/interview/2005/0601.php
http://diamond.jp/series/entrepreneur/10012/


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