「三十歳から四十五歳」という大切な時間を無自覚に過ごすな

私がこのブログを書いてみようと思ったきっかけは、梅田望夫さんの著作「ウェブ時代をゆく」を読み、何か突き動かされるような思いをしたことがきっかけです。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

私は大ベストセラー「ウェブ進化論」をはじめ、全ての梅田さんの著作を読ませて頂きましたが、今回ご紹介している「ウェブ時代をゆく」は、梅田さんの著作の中でも異色の、ほかの著作を全く異なる本だと捉えています。

この本は「ウェブの時代をどう生きるか」という狭い領域を書いているとはあまり思わないんですね。「新しい生き方」について書いているということでもないと思うんです。


私は、「ウェブ時代をゆく」は「人間が人間として生まれ、何か自分の生きた証を残して死んでいく、そのためにどう生きていくべきか」ということを、極めて具体的に描いた本だと思っています。


「生き方、そして死に方」という気がしてしまうんですね。

そして、その「生き方」というのは、その根っこの部分は昔から同じで、大きく変わるものではない。それは、「何かに突き動かされるような、自分が「好き」と思えることに人生を埋め、死んで行くんだ」ということ。


その生き方の中で、「三十歳から四十五歳」の十五年間の大切さを何度もおっしゃってます。


私は、「おれはこれに人生を埋めて、死んで行くのだ」ということがあまりに漠然としていて、何か明確にあるわけではないのです。


ティーブジョブスの有名なスタンフォード大学の卒業式でのスピーチでもこんな言葉がありました。もう何百回と読んでます。

ぼくは17のときある言葉と出会った。それは 「明日死ぬと思って今日を生きればそのうち自分が正しい日がやってくる。」 と言うものだ。

それ以来毎日のように自分に聞く。 「もし明日死ぬ運命なら今日このことをするだろうか?」
もし数日ノーが続くようなら何かを変えないといけない。
この言葉はぼくにとって最高のツール。死を意識したとに何も失うものがないことに気がつく。

が、自分が思ったり感じたりしたことを、あまりかしこまらずに面白おかしく「ことば化」することにより、「人生の埋め場所」を探し出し、もうすぐ始まる「三十五歳から四十五歳」の十年間の重要性を自覚して
生きたいなと思ったりしております。


ウェブ時代をゆく」を座右の書にして。


あっ。わたくし、来週の3月24日に三十五歳になってしまいます(涙)
あっ。もう5年たったやん(涙)あと10年しかないやん(涙)


いや。三十歳からの5年間もそれなりに攻めた5年だったし、それをベースに、さらに攻めたいなと。。。

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20080320
http://d.hatena.ne.jp/twelvejapan/20080321/1206094658

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